くろうさぎのブログ

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四国別格二十霊場 御礼参拝2 金剛峯寺

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参道

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主殿

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主殿のアップ

四国別格二十霊場満願の御礼参拝2ヶ寺目金剛峯寺様です。所在地は 和歌山県伊都郡高野町高野山132です。

高野山の山内にあります。高野山とは回りを八つの峰に囲まれた盆地状の場所を指し、高野山と言う名の山はありません。ユネスコ世界文化遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素です。

金剛峯寺様とは何処までが境内かと言うのが難しく、狭義では高野山山内の一角にあるお寺で、江戸時代まで青厳寺興山寺というお寺だったものを明治時代になって金剛峯寺としました。それまでは高野山全山が金剛峯寺様の境内でした。なお、総本山金剛峯寺というと高野山全体を指します。

主殿の屋外で参拝し、中に入って納経印を頂きます。それより先は拝観料が必要です。なお、主殿には蟄居を命じられた悲運の関白・豊臣秀次自害した部屋が残っています。それ以外にも見応えのある障壁画や立派な庭園があります。

開創はもちろん、弘法大師です。時の天皇嵯峨帝に願い出て弘仁7年(816年)にこの地を賜り開創しました。東寺様が下賜される7年前に高野山を開いたと言うことですね。それから、弘法大師高野山と都を行ったり来たりの生活が始まりました。

開創当時は殆ど建物も無く山林にポツリとお堂が数軒ある程度だったのでしょう。弘法大師はその幽玄の地思索に耽ることをとても気に入っていたようです。

弘法大師は次のような七言絶句を遺しています。

  聞後夜佛法僧鳥

 閑林獨坐草堂曉 三寶之聲聞一鳥

 一鳥有聲人有心 聲心雲水倶了了

 ( ごやぶっぽうそうをきく

  かんりんどくざす、そうどうのあかつき さんぼうのこえは、いっちょうにきく

  いっちょうこえあり、ひとこころあり せいしんうんすい、ともにりょうりょう)

 〔静かな山林の中で一人明け方の小さなお堂に座って瞑想に耽っていると

  どこからともなくブッポウソウの鳴き声が聞こえる

  鳥は無心で鳴いているのだろうけれどその鳴き声に仏と法と僧の三宝を得た

  鳥の声と人の心と雲の流れと水の音が一つに溶け合って悟りの境地に至った〕

こうした心境に至れる高野山の地を離れがたかったようで、友人の良岑安世(よしみねのやすよ)から「そんな寂しい場所に居ないで賑やかな都に戻って来なさい」と手紙を受け取ると「山には山の楽しさがあります。猿や鳥達が楽しませてくれます。」と返しています。

この地を永遠の居と定められ、承和2年(835年)3月21日に今の高野山奥の院入定されました。

満願の御礼に参拝したのでしたら、金剛峯寺様だけではなく、壇上伽藍金堂根本大塔など諸堂、奥の院にも参拝しましょう。

高野山真言宗総本山のお寺で、主殿御本尊弘法大師です。なお、壇上伽藍の金堂御本尊阿閦如来(あしゅくにょらい)様です。

弘法大師御宝号は「なむ だいしへんじょうこんごう」です。阿閦如来様の真言は「おん あきしゅびや うん」です。

 

これで、西国三十三所四国八十八ヶ所四国別格二十霊場を巡礼する旅は終わりました。

これで一旦、筆を置きます。またいつかお目にかかりましょう。

拙ブログにお付き合い頂きありがとうございました。

 

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四国別格二十霊場 満願御礼参拝1 東寺

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堀と南大門(国の重要文化財)と五重塔(国宝)

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弘法市(弘法さん)と金堂(国宝)

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河津桜と御影堂(国宝)

四国別格二十霊場満願の御礼参拝には東寺様か金剛峯寺様へ参拝します。まず、東寺様へと参りましょうか。所在地は 京都府京都市南区九条町1です。ユネスコ世界文化遺産古都京都の文化財」を構成する遺産の一つです。

元々は平安京羅城門を入った東側にあり西寺(さいじ)と共に都を鎮護する官立のお寺でした。なお、西寺は現存しません。

平安時代前期弘仁14年(823年)、この国に本格的な密教をもたらした弘法大師下賜されました。弘法大師高野山修行の場このお寺密教布教の場としました。このお寺には密教で国を護ると言う意味合いから金光明四天王教王護国寺(通称・教王護国寺)様と言う別名があります。この寺院名は密教寺院となってから名付けられました。

このお寺で御礼参拝に伺うのは御影堂(大師堂)です。お寺の中で西院と呼ばれるエリアにあり、弘法大師住居があったところです。檜皮葺の美しいお堂です。お堂の中に入って参拝出来ます。金堂や五重塔に入るには拝観料が必要ですが御影堂は無料で参拝出来ます。

東寺真言宗総本山のお寺です。金堂御本尊薬師如来様です。真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」です。御影堂では弘法大師御宝号をお唱えします。御宝号は「なむ だいしへんじょうこんごう」です。なお、御影堂の反対側は不動堂となっており、日本最古級の不動明王様が祀られています。真言は「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらかんたら かんまん」です。

 

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四国別格二十霊場 20 大瀧寺

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寺標と本堂

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大師堂(手前)と本堂

四国別格二十霊場二十番札所大瀧寺様です。これで満願となります。四国八十八ヶ所は全て巡拝すると結願(けちがん)と言いますが、別格霊場の場合は満願です。

所在地は徳島県美馬市脇町西大谷674で、最後は徳島県です。大滝山のほぼ山上、標高910mにあり、四国八十八ヶ所最高所の六十六番雲辺寺様が900mなのでほぼ同じ標高です。

元々はこのお寺の上にある西照神社(にしてるじんじゃ)様と同じ境内で神仏混淆の施設でした。しかし、明治初期の神仏分離により別々の宗教法人となりました。

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西照神社拝殿

大瀧寺様の本堂とほぼ同じ屋根の形をしていますね。

真言宗御室派準別格本山のお寺で、御本尊西照大権現様です。阿弥陀如来様の化身だそうです。真言ありません。「なむ にしてるだいごんげん」と唱えます。

 

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四国別格二十霊場 19 香西寺

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本堂

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大師堂

四国別格二十霊場十九番札所香西寺(こうざいじ)様です。所在地は香川県高松市香西西町211です。

五色台東麓にあります。車遍路だと四国八十八ヶ所八十二番札所から八十三番札所に向かう途中に立ち寄れます。歩きだと遍路道から大きく北に逸れなくてはなりません。

このお寺は創建当時からめまぐるしく名前が変わったそうです。4度の変更を経て、最終的に高松藩松平氏の時代今の名称になりました。

前の札所も同様ですが、こちらの札所も本堂大師堂共に堂内に入ってお参りが出来ます。有り難いですね。

このお寺では納経印頂く際、特に歩きの方は背負っている荷物を降ろしてから納経帳を両手で差し出して下さい。そうしないとお説教されます。ご注意を。

真言宗大覚寺派のお寺で、御本尊延命地蔵菩薩様です。真言は「おん かかか びさんまえい そわか」です。

 

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四国別格二十霊場 18 海岸寺

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仁王門越しの本堂

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大師堂

四国別格二十霊場十八番札所海岸寺様です。所在地は香川県仲多度郡多度津町西白方997です。四国三十六不動第三十一番札所でもあります。

境内の敷地面積は広く本堂と大師堂は、さぬき浜街道という県道21号JR予讃線挟んでいます。また大師堂裏手の丘陵には文殊堂と御盥山不動坊(おたらいやまふどうぼう)があり、この不動坊が不動霊場の札所です。

このお寺は弘法大師の母君、玉依御前(たまよりごぜん)の出身地、つまり阿刀氏の屋敷跡と言われています。当時の婚姻関係は通い婚だったので、弘法大師この大師堂でお産まれになったとされています。つまり、出生地はこのお寺で、生育したのが善通寺様だと言うことです。このお寺から500mほど東に仏母院様というお寺があります。このお寺も弘法大師出生地と言われています。偉人であり、また、1200年ほど前の方ですので、我がお寺こそが出身地だとの主張があっても当然でしょうね。

このお寺の仁王門には仁王様ではなく、地元出身で昭和30年代に活躍した琴ヶ浜大豪という力士像が立っています。まさに金剛力士です。お参りの際には是非お確かめ下さい。

大師堂の前には俳句茶屋があります。元々は四国八十八ヶ所七十一番札所、弥谷寺様の門前にあった有名なお店だったのですが、諸般の事情によりこちらに移転されました。

現在、ご住職闘病中で、代わりに上戸暖大(じょうと だんだい)副住職がお若いながらも頑張ってお寺を盛り立てておられます。私と同郷、岡山県のご出身ですので、陰ながら応援しています。

真言宗醍醐派のお寺で、御本尊聖観音様です。真言は「おん あろりきゃ そわか」です。

 

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四国別格二十霊場 17 神野寺

 

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参道

 

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本堂

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満濃池

四国別格二十霊場十七番札所神野寺(かんのじ)様です。所在地は香川県仲多度郡まんのう町神野45-12です。

弘法大師修復を行った満濃池のほとりにあります。日本最大ため池ですが実際に見るとまるで湖です。弘法大師には錫杖を突いたら泉が湧いた、杖を突き立てたらそれが木になったなど、数々の伝説がありますが、満濃池の修復は史実です。修復を行った時に池の守護としてこのお寺を建てたと伝えられています。

しかし、戦国時代、長宗我部元親の侵攻により焼き討ちされ荒廃したと言われています。本当に長宗我部軍による焼き討ち伝承は多いです。何でもかんでも長宗我部元親のせいにしていますが、果たして本当に長宗我部元親は土佐以外の他国の寺を多数焼き払ったのでしょうか?甚だ疑問です。

さて、長い間廃寺となっていた寺ですが、昭和7年結成された満濃大師会により昭和9年、約350年ぶりに再興されました。

新しいお寺ですが、満濃池弘法大師ゆかりの池なので、そのほとりに建てられたお寺が別格二十霊場に加えられました。

真言宗善通寺派のお寺で、御本尊薬師如来様です。真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」です。

 

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四国別格二十霊場 16 萩原寺

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ソメイヨシノと仁王門

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本堂(国の登録有形文化財

四国別格二十霊場十六番札所萩原寺(はぎわらじ)様です。所在地は 香川県観音寺市大野原町萩原274です。四国三十六不動二十八番札所でもあります。

山号巨鼇山(きょごうざん)と言います。鼇とはウミガメのことです。この山号は四国六十六番札所雲辺寺様と一緒です。弘法大師が2体の菩薩像を刻み、一体を雲辺寺様にもう一体をこのお寺に納めたされており、同じ山号となっています。このお寺は雲辺寺様の前札所となっています。

お寺の名前の通り、萩で有名なお寺で「萩寺」とも言われます。春のソメイヨシノも綺麗です。

真言宗大覚寺派別格本山のお寺で、御本尊伽羅陀山火伏地蔵菩薩様です。伽羅陀山(からだせん/きゃらだせん)とは世界の中心である須弥山(しゅみせん)を取り巻く七金山(しちこんせん)の一つ地蔵菩薩様が住んでいる山だそうです。真言は「おん かかか びさんまえい そわか」です。

 

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