くろうさぎのブログ

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歩き遍路の四国八十八ヶ所 51 石手寺

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門前に佇む衛門三郎像

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仁王門(国宝)

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本堂(国の重要文化財

四国八十八ヶ所五十一番札所石手寺(いしてじ)様です。五十番札所から歩くと45分ほどです。五十番札所への道同様、車が多い狭い道の市街地を歩きますので気をつけて歩きましょう。

このお寺は市街地にあり道後温泉にも近いためか参拝者が多いお寺です。

 

門前に座す衛門三郎像についてお話ししましょう。

衛門三郎は平安時代の人と言われます。四十六番札所から四十七番札所に向かう途中に文殊院様という四国別格二十霊場のお寺がありますが、そこが衛門三郎の屋敷跡と言われます。ある時、みすぼらしい旅の僧が屋敷を訪ねて托鉢をしました。強欲な衛門三喜捨などする気はさらさらありません。僧が持っていた托鉢鉢を箒でたたき落とし箒を振り回して追い返しました。たたき落とされた鉢は八つに割れました。するとその後、8人いた衛門三郎の子供達は次々に命を落としました。嘆き悲しむ衛門三郎、ふと旅の僧への非業を思い出し、あの僧こそ高名な弘法大師だったのだと気付きます。弘法大師詫びる旅に出ます。これが遍路の始まりと伝わっています。20度に及ぶ四国巡拝でも会えません。21度目には逆回りを始めました。そしてようやく十二番札所の下で会うことが出来、非礼を詫びました。弘法大師は非礼を許すと共に望みを聞きました。衛門三郎は次は伊予の名族・河野家の立派な人に生まれ変わり役に立ちたいと言い残してその場で亡くなりました。弘法大師はその手に「衛門三郎」と書いた小石を握らせて亡骸を手厚く葬り、衛門三郎が持っていた杖を墓標としました。すると杖は立派な杉にせいちょうしました。衛門三郎の墓は現在、杖杉庵(じょうしんあん)となっています。十二番札所で杖杉庵の納経印を頂けますよ。逆打ちにはご利益があり弘法大師に会えるという伝承はこれに由来します。

さて、その翌年伊予の領主・河野息利(こうのおきとし)に嫡男が生まれます。この子は左手を固く握っていました。開こうとしないのでお寺の住職祈祷して貰うとやっと手を開きました。そこには「衛門三郎」と書かれた小石を握っていました。そこでそのお寺は安養寺と言いましたが「石手寺」と改名したそうです。

 

衛門三郎像から仁王門までは仲見世となっています。仁王門四国八十八ヶ所に三棟しかない国宝の一つです。鎌倉時代末期の建造です。

また、本堂、三重塔など多くの国の重要文化財がある古刹です。

真言宗豊山派のお寺で、御本尊薬師如来様です。真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」ですね。

 

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