歩き遍路の四国八十八ヶ所 21 太龍寺
四国八十八ヶ所二十一番札所は太龍寺(たいりゅうじ)様です。車の人は日本一長いロープウェイを利用するか、または狭い道をクネクネと上がった先にある駐車場から急勾配の山道を1.5km程歩いて境内に向かいます。なお、掲載している仁王門は歩きの人か駐車場から山道を歩いてきた人しか見ることが出来ません。
二十番札所から歩くと2時間ほど掛かります。距離はそれほどではないのですが、前の札所から一旦、那賀川のほとりまで下りて再び急坂を登ります。二十一番札所も山岳寺院で標高520mの山上にあり、「西の高野」と呼ばれています。
阿波の難札所は3ヶ所あり「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と呼ばれます。まず、焼山寺道で最初の難所を経験しますが、二十番と二十一番とは連続して難所を経験するわけです。
このお寺は弘法大師が23歳頃に著した『三教指帰(さんごうしいき)』という戯曲に出てきます。『三教指帰』は道教、儒教の良さを説き、しかしやはり仏教こそが最高の教えだと説いた本です。この中に「阿国大瀧岳ニ躋リ攀ヂ・・・」と出てきます。若き日の空海(弘法大師)が実際に四国で修行をしたことを窺わせる文章です。この”大瀧”は異論もありますが太龍寺山を指すと言われています。
「西の高野」と 呼ばれる由縁は、このお寺の大師堂が高野山奥の院の弘法大師廟と同じ造りになっているからです。つまり、前に大師堂がありお堂の裏に御廟がある造りになっています。参拝の際には、正面の大師堂から裏に回り大師廟を参拝してみて下さい。
高野山真言宗のお寺で、御本尊は虚空蔵菩薩様です。この仏様は第一の難所、十二番札所と同じですね。御真言は少々長かったですね。「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん あり きゃまり ぼり そわか」ですね。
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